下 北 半 島

横浜町
 

横浜町には作付面積200haと日本一を誇る菜の花畑があり、5月中旬に一斉に咲き誇ります。黄色いじゅうたんがどこまでも続きすばらしい景観です。


どこまでも続く菜の花畑

 

奥薬研温泉
 

奥薬研温泉には町営の「かっぱの湯」と「夫婦かっぱの湯」の2つの露天風呂があります。どちらも渓流沿いにあり自然がいっぱいの露天風呂です。
写真のかっぱの湯は混浴ですが、空の青と木々の緑が水に映えて優雅な気分で入浴出来ます。


かっぱの湯

 

夫婦かっぱの湯
 

「夫婦かっぱの湯」は男女別になっています。渓流を眺めながらゆったりした気分で入浴出来ます。
「かっぱの湯」も「夫婦かっぱの湯」もこんなすばらしい温泉が町営でどちらも無料です。



夫婦かっぱの湯

カモシカと遭遇
 

脇野沢の国道338号線を走っていたら、カモシカに遭遇しました。近づいてカメラを向けたら、食事中にもかかわらずポーズをとってくれました。



近づいても逃げないカモシカ君


脇野沢
 

脇野沢は鱈漁で有名ですが、鱈で価値が高いのは産卵前に湾に入ってくる「入鱈」で産卵後に湾から出る「出鱈」は価値が低いそうです。「出鱈目」と言葉がありますが、これは単なる当て字なのか、それともこの出鱈と関連があるのでしょうか。

*「出鱈目」BIA仮説

国語辞典や「ことばのカルテ」という本では、これはあて字で意味は無いとこうことでした。そこでBIA仮説を一つ。

昨年の12月に、おいしい入鱈を食べてから「出鱈目」の語源について考えて来ました。そんな時、大間への2度目の旅で前回見逃した啄木の歌碑を見つけました。そうか、これに違いない思ったのが次の仮説です。

国語辞典の編者である金田一京助は石川啄木の盛岡中学の先輩であり、啄木の良き理解者でもありました。盛岡中学時代大間に滞在していた啄木をたずねて京助も大間に来たのではないかと思いました。当時は交通も発達していないため、途中脇ノ沢に宿泊したと考えられます。

脇野沢に宿泊するにあたり、冬の鱈はすばらしくおいしいので必ず食べてくるようにと言われて来ました。ところが、1月に入り出鱈の時期になっていたため、食べた鱈はおいしく無い出鱈でした。それを食べた京助は「冬の鱈がおいしいというのは{でたらめ}だったのか」と嘆き、後年国語辞典を編集した時に、その時の状況を思い浮かべ「でたらめ」の漢字を「出鱈目」としたのではないかと思います。

啄木の年表には金田一京助が大間をたずねた記録はありません。また金田一京助は「一握の砂」の編集後記も書いていますが、その中にも大間に行ったとは記されておりません。この説は「出鱈目?」かもしれませんが、何か証明出来るものはないかと思っております。

大間出身の盛岡の中学校の先生の話では、子供のころ、おばあさんに金田一京助が大間に来たという話を聞いたことがあるとのことでした。



脇野沢のシンボル「鯛島」


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